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うた [その日の暮らし]

やせたくない。と思いつつ、病気と加齢で変なところばかり
やせてしまい困っている。
着物を着るときには、まあ、年齢が上がっていくと肩がやせていく
人が多いとは思うけれど、私も肩やムネの上のところがぺったんこ
になってしまい、そこへ綿やタオルを入れることが多い。
若い頃はかなりムネが豊かだったので、よもや、このようになるとは
とびっくり。まあムネがぺったんこになるのはそれはそれで新鮮というか。
洋服は入りやすくなりました(笑)。

以前放送大学で放送していて、その後何度も放送されている
和歌の授業を繰り返し見ている。録画しておいたものがあるので、
時間があると、気に入った回をあれこれと見ている。
この授業は本当に私にとってはうれしい授業で、家にいながら、
学校に入学しなくても、自分では習うことができない先生の授業を
聞くことが出来る。だれでもテレビを持っていて放送をみることが
出来る人は学べるという、すばらしい放送だと思う。
そしてこの授業で私は素敵な先生に一方的だけれどもあうことが出来た。
この先生方の名前を頼りに本を検索し、いろいろと買って読むことができた。


さて、この間見たものは、私があまり関心が無い近代の人の和歌回。
しかも女流。
私はあまり女流というジャンルに関心が無く、本や和歌も女流だから選ぶということもなく、
感動する、同感する共感するということは無かったと思う。これからはどうだかわからないけれど、
若い頃からそうだった。

見たのは樋口一葉の回。
樋口一葉は「萩の舎」に入門して歌を習っているので和歌の授業でも
でてきたのだ。樋口一葉というと小説、という感じだけれど、
書道や和歌もよくしたという。それにしても、25歳でなくなっている
とは気の毒だな。と最近よく思う。これは私が年を取ったからだろう。
樋口一葉の小説に関してはずいぶん前にちらっと読んだだけで、
それほど覚えていない。おそらく十代のころによんだっきりだと思う。
あまりその頃は物語を読むような好みが無かったので、しかももともと
小説を好まないので、あまり熱心に読まなかったと思う。例によって
家にあるから、読むものが無くて家の本棚をあさったから、あるいは
読むものが無くて図書館で知っている名前だったからという理由だろう
と思う。

樋口一葉を少し意識するようになったのは、好きな画家、鏑木清方が
一葉を好きだったから。鏑木清方は一葉の身の上をとても気の毒がっていた
ようだ。そして小説にも思い入れがあるようで、たびたび物語や
一葉を絵のテーマに選んでいる。
その中の「一葉女史の墓」は思いいれが絵の構図や人物のポーズ
などにも現れているように思える。本人も少しそのあたりは
気にしているような言葉が残っていたようにも記憶しているけれど、
どこにあったか今おもいだせない。勘違いかもしれない。

そんなことで、私はどちらかというと一葉は絵から関心を持った人
ということになる。


放送大学の和歌の授業で、初めのほうに「萩の舎」に入門し、
新年歌会の時の一葉の日記が紹介されていた。
数えで16の時。此のときの自分の着ていた着物について、
「いとど恥ずかしとは思い侍れど、此の人々の綾錦着給ひしよりは」
と、周りの華やかな上流の女性達の服装とくらべつつ、自分の古着を

「わが古衣こそ、中々に垂乳根の親の恵みと、そぞろ嬉しかりき。」
と書いている。なかなかいじらしく、いつもよりは
違う着物を用意してのお出かけがうれしいと書いているところなども
女の子らしく、やさしくかわいらしい。
この歌会では一番をとったという。よかった。

一葉といえば、最近読んだ「和菓子を愛した人たち」という虎屋文庫
の本にも一葉が出てきた。一葉といっしょに紹介されたお菓子は「汁粉」。
小説の先生だった半井桃水が手ずから作ってくれた雪の日のお汁粉。
此のときの事は日記に細かく記されているとのことで、大好きな先生に
小説もほめらられ(「闇桜」)お汁粉を作ってもらっているうれしさが
伝わってくるようで、一葉の日記も読んでみようかな、と思うのでした。

樋口一葉は短い期間に書いた小説は優れているし、歌を習えば
すぐに実力を発揮するし、習ったものを吸収してすぐに日記に生かし
読める日記を書くという、かなり能力が高い人だったのだと思う。


色々と、好きなものから、まわりから樋口一葉にたどり着き、
知っていったからか、だんだん私も一葉が好きになってきた。
そして、いっそう、一生貧しく、短い生涯だったことは気の毒だった
な、と思うようになった。

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暑かったりよくわからなかったり [その日の暮らし]

おまけに風邪まで引いていました。

熱がぴゅーっと38度以上になって、暑いやらなにやら。

火曜日に、喉が痛くなってなんとか薬で抑えられていたので
週末治せる!と思ったら週末に熱が急上昇。苦しい・・・。
最近風邪を引くと「苦しい」という表現しかできないような
純粋に「苦しい」状態になるようになった。とほほ。

別の痛み止めが熱さましでもあるので、それを利用して(本当は
いけないのだろうけれど、私に処方されていて痛みがあるときには
飲むのはOKなので)、熱を下げ、なんとか三日寝付いて起きる
ことができました。危ない・・・。以前は熱があがっても1日あれば
下がったのだけれど、今は三日でも全然下がらない。


さて。
お天気はいったいどうなっているのだ。と思うぐらい、
週末は暑く、汗が驚くほどでました。寝苦しくて仕方が無い。
でも、少し前から家の外からはカネタタキが「キッキッキッ」
とあちこちで寂しく鳴き始めている。このカネタタキ。たまに
そして一匹ぐらいならばいいのだけれど、わんさか発生したときが
あって、さすがにうるさいなあと思ったことがある。

虫の音もあまりに大きすぎたり、ずっと鳴いているとなんだか
耐えられないような気がするときがある。
虫時雨みたいに、ざーっと一面ならば違うのかしら。
あるいは本当に野に出てならば気にならないのだと思う。

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秋の雨 [その日の暮らし]

いきてまーす。

最近読んだ与謝野晶子の随筆。
与謝野晶子の文章はお金をかけずに読めるので、
主に随筆を中心に読んでいる。

この間読んだのは「台風」という随筆。
明治生まれの人なのでこの「台風」という「新語」が面白いと書いている。
秋の嵐は野分だけれど、新語の「台風」には科学の味があると。
そして、生活が変われば、古い言葉の雅さは十分必要だけれども、
新しい生活、新しいもの、などは古い言葉には「盛りきれない」ところがあると
書いている。たしかに、この「盛りきれない」のは判る気がする。気分、
感覚、そして古い時代には無かった新しいもの、そういったものが
入りきらずに言葉からこぼれてしまう、そのこぼれを拾うあたらしい言葉が
必要になって作られたりする。
与謝野晶子の庭には「ダリア」などの洋花もある、そして南のインドシナ
からやってきて日本を縦断し、大陸へ抜ける・・といった大きな動きをするもの
をあらわすに、野分はなかなか盛りきらないだろうと思う。
野分というと、もうちょっと小さい範囲での視線、今自分が居る場所のみの
大きな嵐のことを言えるような気がする。そしてダリアは野分にはなぎ倒されない
ような気がする。


当たり前だけれど、与謝野晶子は文章が上手い。とても読みやすい。
実母の見舞いに実家へ帰った時、夫に送った「ひらきぶみ」もするすると
ながれるように読めて、ちょっとした文章も上手いなと思う。

台風の影響で、週末東京は雨。
気温も急に下がった。
わたしは不安な生活をしている。治療方針が決まるのを、待っているけれど
聞きたくないとも思っている。
正直に言うと、ずっと、本当の事を聞きたくない。けれど、本当の事を
聞き続ける日を送っている。
でも、家族の協力もあるし。きっといいこともあるはずー。
はず。


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それではみなさま [その日の暮らし]

まだ日記はぼつぼつと書けるときに
書きますが。

病気のため、少し忙しくなりそうです。
明日舞台でよかったかな??落ち着かないけれど。
そして舞台で泣きそう。あぶない。
集中できないかモーと思ってます。やだな。

当分、病気の治療の合間に、書けるときに書くということに
なります。落ち着かないので、あまり書くことも思いつかないけれど。

あ、読んでる人そんなにいないか。とは思うけれど。
ぽつぽつそのとき読んだ本とか、ネットに繋がってキーボードが
うてて、投稿できる環境だったらかきまーす。

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値段は大事 [その日の暮らし]

着物が売れないという話をよく聞く。

値段をはっきりさせないからじゃない?
といつも思う。

色々事情があるのだとは思うけれど(同じ反物を、違う場所で
違う値段で売っているからなど。でもこれは着物だけじゃない。)
いまどきはWebやインスタ、Twitterなどでお店や商品の宣伝を
している。なのに、相変わらず、写真だけ紹介して値段を書いていない。
まったく、骨董やと着物やは・・・と毎回思う。

購入するお客様に気を使ってのことならば、購入が決まっている
ものについては値段をださなければいいだけ、と思う。
それに、洋服ではエルメスの高級コートでも、ブルガリの飴玉みたいな
宝石がついているティアラだって、雑誌に載れば値段が書いてある。
宣伝ならね。(展覧会などは書いてない。売り買いしないから。でも
オークションなら金額がある程度わかるだろう)


潔く金額をだせばいいのに。と思う。この反物この値段。あとは
仕立て代はこのくらい、あとははっかけやらなにやらでプラスアルファ
ありますって、どのぐらいかかりますって。
新規のお客様が欲しいのか、欲しくないのか。とWebやらインスタやらで
宣伝しているのをみて思う。



まあ、それはきもの雑誌や着物Webについても思いますけれど。あと着物本。
いろいろ教えてくれているようで、一番自分が気に入っているものや自分の
手の内は教えないというのがいつも「あーあ」と思います。
一番あっぱれと思っていたのは「きものBasicルール」かな。Webサイトでは。
本当のところはどうかどうかわからないし、全部を公開しているわけでは
もちろんないのだろうけれど、
ちゃんと自分達の手の内を割合公開している。編集者が集まって作っていた
サイトだったからかなと思う。ずばり金額も書いてあるし、どこで頼んだ
というのも書いてあるものがいくつかあった。全部ではないけれど。
きものを相談できる人が居ない人が読む読み物としては、そうだよねと思う。



まあ、着物やさんが値段を出さないのは
買う人によって値段が違う、タイミングによって値段が違う
この金額で売ってますって書くと同業者から文句が来る、問屋
から文句が来るなどなど・・・あるのかもしれませんが・・・。
でも、「着物やを怖がらないでどうぞ一度来て」みたいなことを
書いてあるなら、ねえ・・・と思う。だってどんなものを
いくらで売っているのか判らない店に入るのが怖くない人って
とっくにどこかに得意があるか、値段が関係ない生活をしているか
なんじゃないでしょうか。そういう人を相手にしているお店ならば
いいのよね。
着物はオートクチュールの世界でもあるので、値段が決まっていない
という面もあるとは思う。
でも、初心者も着て欲しい、普通の人の普通の着物も売ってますっていう
なら希望小売価格は出さないで「怖がらないで」はないと思うなあ。
ねえ。

どうしてもWebで発信しにくいなら、期間限定で色無地はこのぐらいから
作りまーすだとか出せば良いのでは?と思う。
どんな品、どんなものが得意なのかもWebでははっきりしないお店が多い。
最多価格帯だとか、得意なもの、たとえば趣味着物なのかだとか、
お茶着物が得意なのか、踊りの着物も結構得意としているのか、
完全に注文(色から指定するようなもの)が一番得意なのかだとか。
センスもWebじゃわからなくて、実際行くしかない・・・のだけれど
それには金額が・・・目安がわからないといいうところが多すぎると思う。
ヒントぐらい出しておいてもいいのでは・・・と思う。
あとは小物で様子見させてくれるとか。
「ぜひ一度見に来て」というなら来やすくすればいいのに。といつも思う。


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